【2】苦難は幸福の門(苦難福門)
人が恐れきらっているのは苦難である。
中でも病気、災難、貧苦……世に少しの苦しみもないという家はまことに少い。
必ず何か一つ、「これだけが片づいたら」と念じている「困ったこと」がある。
これが今までは「ただの困ったこと」であった。
昔の人達は苦難は悪魔の仕わざだと見て、忌(い)みきらった。
ある人は罪のあらわれだ、業(ごう)の報いだ、仕方がない、あきらめる外はないと考えた。
「天の将(まさ)に大任(たいにん)を是(こ)の人に降さんとするや、必ず、まずその心志(しんし)を苦しめ、その筋骨(きんこつ)を労す。」(『孟子』)
「患難(かんなん)をも喜ぶ、そは患難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ずと知ればなり。」(「ロマ書」5の3~4)
と。又(また)古(いにしえ)の勇士は、「我に七難八苦を与えたまえ」と三日月(みかづき)に祈ったと言われる。
これは苦難は天の試練である、堪(た)えしのんで努力すれば、よい結果が来ると考えたからであろう。
しかし今や、百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)さらに一歩を進めて、苦難は、生活の不自然さ、心のゆがみの映った危険信号であり、ここに幸福に入る門があることがわかってきた。
そしてこれは、日々多くの体験者によって証拠立てられている。
これがはっきりわかれば、もう苦難を恐れきらうことがなくなる。
いや、よろこんで苦難に立ち向う。
にっこり笑ってこれに取りくむ。
そして苦難の原因になっている生活のあやまり、心の不自然さを取り去ると、かつ然として幸福の天地が開けて来る。
苦難の黒幕がひらかれた時、その奥には、明るい幸福の舞台が用意されているのである。
門を叩(たた)け、さらば開かれん。」(「マタイ伝」7の7)
「狭き門より入れ。滅にいたる門は大きく、その路(みち)は広く、之(これ)より入る者多し。
生命(いのち)にいたる門は狭く、その路(みち)は細く、之(これ)を見出すもの少し。」(「マタイ伝」7の13~14)
生命(いのち)に生きぬくその門は、狭い、入りにくい、又苦しい、痛い、みにくい。
それがひどければひどいだけ、しっかり足をふみしめて、門のとびらを強くおし開こう。
にっこり笑って、エイと―声、かけ声勇(いさ)ましく、かたい扉をおし開こう。
その奥には光明(こうめい)、歓喜(かんき)の世界がまっている。
苦難は幸福に入る狭い門である。