【9】約束を違えれば、己の幸いを捨て他人の福を奪う(破約失福)
「きめごと」というのは、大の天体の運行、四季、昼夜めぐり、小は火、水、電気などについてのことなど、これまで学者が研究し、発見したすべての法則。
それは、はずれるとすぐけがをする、損をする。
夜は燈がないと仕事ができぬ。
雨の日に傘がないとぬれる……。
火はやけどをするし、電気はビリリと来る。
こうした自然の約束は、知る限りは必ず守る。
守らぬと身を亡ぼし、命を失う。
人のきめた約束はどうであろうか。
いかめしい手つづきできめた法律、あるいは人がよりあって定めた、いろいろの規約、これは人のきめたものだから、守る守らぬは、そんなに厳密なものではない。
時によると、うまくのがれれば得をするといったふうに、人のきめごとは、あまく見ている。
これは大変な誤りである。
法律も、規約も、人が何人か集まって、同じ目的で仕事をし、生きて行く為には、なければならぬきめごとである。
だから、破れば皆が困り不幸になるということは分る。
が、これを破ったからとて、知れねばそれだけ得をすると考えるのが、低級な間違った常識である。
たとえば、さぎ、どろぼうが、働きもせずに、もうけてよかったと思うようなものである。
ことに、いわゆるやみで儲けた、と得意になっているようなものである。
これは、大変な考えちがいで、少し目を洗い、耳をそうじして世間を見ていると、法網をくぐって出来た金銭、財産は、その人の身につかぬのみか、かえって、その人を、家を不幸にする。
それこそ、1件の例外もなく、1人のもれもない。
少しく頭のよい注意深い人は、これを一々の実例に見て、天の記録の精密さ、そのむちのきびしさに襟を正す。
天をおそれることはこの事である。
これ以外に、普通約束といえば、何かある時、人と人とが約束したこと、きめたことと、考えられている。
これも亦、破約の場合、間違った人は別に損得はないが、破られた方が損をすると考えられている。
これも見かけの上の事で、破った方は、守らなかった責任がある。
これがただ道徳上の責任というだけですむように思われている。
それが実はそうではない。
破った方が、必ずその責めを分担せねばならぬこと、いやでもきらいでも、その責めを実際生活の上に負わされて、困りぬいている実例の多いことは、この絶対倫理の一々実証しているところである。
とりわけて、きびしい破約に対する天の刑罰は、親子夫婦等の血縁の間の「きめごと」である。
これは、まだ世に明かにされていない、ひめごとの幕に包まれている。
絶対倫理はこの秘密の扉を開いて、血縁のきめごとの誤りから来た肉体上の苦痛を、見事に解決している。
ことにきめごとの中で、時間を守るという、文化人として最初のテストに見事に落第した日本人は、今日ただ今を期して、まず時間を正しく守ることからはじめて、生活をたて直さなければ、再びその時は来ないであろう。