【6】子は親の心を実演する名優である(子女名優)
子供は親そのままである。
顔形から、身ぶりから、言語の言いぶりから、くせに至るまで……。
どんな上手な彫刻家も、これほどうまく似通った肖像を制作することは出来ない……と思われるほど、よく似ている。
ここまではだれでも知っている。
けれども、親子はまだまだ思いも及ばぬところまで、同じであることに気がつかぬ。
生れて間もない子供でも、母親が忙しい時には心落ち着かず、両親に心配事があるとよく眠らぬ。
大きくなるにつれて、両親がその年頃にした通りの事を繰り返す。
又今している事を行ない、心に思っている事でさえ、そのまま親の身代わりに実演する。
こうしたことは、これまで心理学者も、教育学者も全く知らなかった。
そのためにどれほど子供に無理を言い、その個性を摘み取り、希望の芽生えを焼き枯らしたか知れぬ。
子供の体質も、性質も、ことごとく両親にこれをうけ、くせも、日々の行ないも、12、3歳までは、全部両親の心行ないの反映である(時によると、祖父母や、学校の先生や、その外の人達の影響もあるが)。
だから子供が手に負えぬ、悪くて困るという時、その原因はことごとく両親にあると知って、自分を改め、夫婦が明朗愛和に帰る時、子供たちにはゆびいっぽんふれず、一言も言わなくとも、りっぱに直ってしまう。
風がたてば、さわさわと音を立てて騒いでいた竹林が、風の止んだそのしゅん間、すっかり静まってしまうように。
子供自身に、あらわれた病気でさえも、例外なく、親の生活の不自然さが反映したまでである。
これを知ったら、世の人々は、どれほど驚くことであろう。
又どれほど安心することであろう。
こうした事が、うそかまことか、それは人に聞くまでもない。
子を持つ世の親たちは、自分自分のこれまでの生活と、子供たちの性質なり、することなりを、静かに観察すれば、はっきりとすることである。
親たちは上べを飾り、人前をつくって上品に暮していても、子供たちは、堂々と、つつみかくしなく、親の心を実演する。
家は、その小さな名優の舞台である。