【5】夫婦は一対の反射鏡(夫婦対鏡)
人は男性と女性と、なぜ二様になっているのであろうか。
これは、人に限らず、陰と陽と、+(プラス)-(マイナス)と二通りの対立と、その合一によって、万象(すべてのもの)を、生命を、幸福を生み出すように出来ている。
生成発展(うみいだし)は、相反する二つの力がとけあって一つになったとき生れる。
夫婦は合一によって、無上の歓喜の中に、一家の健康と、発展と、もろもろの幸福を産み出す。
ただに子女を設けて、子孫繁栄のもとを成すばかりではない。
こう見てくると、男女は、その肉体は相反し、相補うように出来ていて、ピタリと合一するようになっているが、その心はどうであろう。
結婚の当時はうまくいくが、次第に離れて、全くはんたいの方向にさえ行ってしまう事がある。
そうなると、家のことは、ちぐはぐになって、仕事も商売もうまくいかなくなる。
それがこれまでは、仕事の方ならば夫のせいにし、又子供のことなどは妻の責任にした。
これが実は大まちがいである。
すべてが、夫婦の心の一致しているかいないか、にかかっているのである。
これが新しい倫理の一つの大きい特色(ちがい)である。
夫婦の一致和合こそは、幸福のもとである。
どうしたら完全な一致が出来るであろうか。
これまでは、妻は夫を改めさせようとし、夫は妻をやかましく言った。
それが大まちがいであった。
夫婦は互いに向いあった反射鏡である。
夫が親愛の情にもえてやさしくすれば、妻は尊敬信頼して、世の中に夫より外に男性はないと、ただ一途に夫にたよる。
この時夫は又、世に妻より外によき女性はないと、愛情をかたむける。
そして明朗愛和、常に春のような、なごやかな家庭がつくられる。
反対に夫がいばりすぎ、封建思想をふりかざすと、妻は小さくなって、内にこもって亀のように強情になる。
妻が出しゃばり高ぶってやってのけると、夫は猫のようによわよわしく、ゆうじゅうふだんになり、どこに行っても馬鹿にされる。
互いに照らす一対(いっつい)の反射鏡、見事によくそろった夫婦が、どこにもここにも百面相を展開している。
夫婦が互いに相手を直したいと思うのは逆である。
ただ自分をみがけばよい。
己を正せばよい。
その時、相手は必ず自然に改まる。
夫婦は、いつも向いあった一組の鏡である。