【17】人生は神の演劇、その主役は己自身である(人生神劇)
宇宙の生命、統一の中心、万象の根源、これを神あるいは仏と言う。
民族により、宗教により、いろいろと名称は異なり、観方は違っているが、ただ1つの宇宙の統一力、支配者、主宰者をいうのである。
しかし神は幽なるもの、説明を越え、思惟を絶する、感覚の外にある。
言いようもなく、考えようもない。
絶対と言い、無限と言うも、光明無量又寿命無量、そうした言葉の末で、その真をつくし得るものではない。
言えばすでにちがう。
考えれば、もうこれとはなれる。
万象は神の発顕、世界は神の顕現、人は神の性をうけて現われ、恰も天界での星の如く、小宇宙をなし、小中心をなして、その各々の境に於て主置に居る。
すでに、幽なる力が顕われて万象となり、形をとった力は、ひそんで幽界に統一する。
故に幽顕一体であり、神人不二である。
この理を実にしたもの、これを神人合一、解脱、見神等と名づける。
ここまで行きついて、人は初めて真の自由を得る。
自在奔放、心の欲する所に従ってのりをこえない。
幽顕に出入し、神人に優遊して、自在ならざるはない。
人かと思えば神、神かと思えば人、神人一致である。
ここに人が顕界の主となる意義が成り立つ。
人は生命を神にうけているが、1度生れれば、各々の自性をうけて自由となる。
この自由は、舞台における俳優の自由である。
人生は演劇である。
劇作家、監督、演出、それは、ただ1人でかねていて、絶好無比、周到無類、到らぬくまもなく、及ばぬ時処もない。
こうもこまかにゆきとどいたものかとおそれている。
その上批評もし、報酬も与え、賞罰もあるが、公平無私、かつて1度の手落ちもなく、しすぎもない。
この演劇は、悠久の古から永遠の未来にまで踊りつづけている、大規模の幕切なしの劇である。
全地上が舞台であり、濃藍の海と、緑の岡と、コバルトの空と、背景の美しさ。
花あり、紅葉あり、鳥鳴き、魚躍る。廻り舞台には昼夜の別もない。
その大演劇の主役は、己自身である。
家にあっては父、会社に出ては社員。そして旅行もあり、選挙もある。
その時、その場を、いかに、真理(神)の筋書に合するように演出しているか。
役者がこの頃なまけているぞ、いや得意になりすぎたぞ。
名優は言った、「うまいと拍手されるような事ではだめだ」と。
時には他人の演ずる舞台の、観劇の場面もある。
何れを見ても、悲劇・喜劇が、演ぜられている。
小説や映画などは、この人生劇の1部を切りとって、解説した説明書である。
これを手引に、地球座人生劇場の、真理の芸術を、満喫しては如何であろう。
無料、露天大活劇、新旧、喜悲、男女、老若、とりどりの大演劇である。そしてその主役は己自身である。
演出の作法(ルール)は絶対倫理であり、万人幸福の倫理である。