【1】今日は最良の一日、今は無二の好機(日々好日)
今日はまたとめぐって来ない。
昨日は過ぎ去った今日であり、明日は近づく今日である。
今日の外に人生はない。
人の一生は、今日の連続である。
昨日を悔(く)い、明日を憂(うれ)える人がある。
これは、今日の影法師(かげぼうし)にびくついている人。
今日一日、これは光明に輝き、希望にみちみちた、またなき良き日である。
今日しなければ、何時その日が廻って来よう。
今日をとりにがす人は、一生をとりにがす人である。
日の吉凶(よしあし)というような、迷信にかかわる人は気の毒である。
宝がころげこんでも、今日は日が悪いと、これを見すてるであろうか。
災悪(わざわい)がふりかかっても、今日は吉(きち)か凶(きょう)かと、運勢暦をめくって、ぼつぼつそれを払いのけるであろうか。
今日は一生に二日とない幸いの日、又すきがあればどんな危険が襲うかもしれない厄日(やくび)である。
黒にするか白にするか、それは己自身にある。
九星早見にあるのではない。
一日は今の一秒の集積(あつまり)である。
今を失う人は一日を失う人、そして一生を棒にふる人。
「時は金なり」と言う。しかし、金はとりかえせる。時は再び来ない。
「気づいた時、気がるに、喜んでさっと処理する」「気づくと同時に行なう。」
これは成功の秘訣、健康の秘法である。
ずぼら者、ぐずつく人、これは皆「今」をとりにがす人。光陰矢の如し。
「時は得がたくして失い易し。」(『史記』)
「宝の山に入りて手を空しくしてかえる。」(『正法念処経』)
「鉄は熱きうちに打て。」(ウエブスター)
気づいたとき、それはその事を処理する最高のチャンスである。
それをのばせば、次第に条件がわるくなる。
事情の最も高潮に達した時、その波動(うごき)が、人の脳に伝わって気がつくようになっている。
これは、「気づくとすぐする」という、ほんの日常の、しかも絶対な生活倫理(くらしみち)の実践によって証明せられる。
第一感を働かせよ。これは叡智(えいち)である。
あとで考えたのは堕落(つまらぬ)人間のばか智恵、気づいたら、毛髪一本(かみのけいっぽん)のすき間もなく、ぐいとつかむ。
ここに幸福の天地がまっている。
気づいても、いっこうに手を出さず、強情をつっぱって、なまけ心、心配性が面を出して、せっかくのチャンスを取りにがす。
世の中には宝の山に入りながら、素手でぶらぶら引返す人が、どれだけあるであろうか。
思い立つ日が最上吉日である。